2007年06月15日
スクール
人間は単純である
いや、
自分が単純なのか
最近、スクールへ通いだした
コーチに球出ししてもらい、ストロークなり、ボレーなりをし、次の人に代わるのだが、ちらりとコーチを見るのだ。
何ともさもしい話だが、
「今のショットよかったですねー」とか
「そーです、そーやって打ってください」
なんて言われると、エヘっと喜ぶ自分がいるのだ。
今のジョットが納得のいくものだったかではなく、コーチにどう評価されたかを気にする自分がいる。
そして、褒められようとする自分がいるのだ。
一体自分は何才だ?
しかし、
「今のストロークよかったですよー」
と言われると、お腹の右の方がもぞもぞとし、うふっと喜んでしまう。
もちろん、口元はきっと固く結び、喜びが漏れるようなことはしないし、素振りなんかしてしまって、まだまだ納得していないふうを装ったりする。
これが、
「打つ時、体が突っ込んでいますよー。さっきは良かったのになー」
と言われると、心の中でうなだれてしまうのだ。
えー。さっきどんなふうに打ったっけ???? となってしまう。
コーチの言葉に一喜一憂している、かわいい生徒なのである。
そして、サークルでは、試合をすると、今まで気にしなかったフォームが気になって動きがぎこちなく、試合の結果は、がたがたのぼろぼろの内容になってしまう。
スクールでの内容がコートで活かされるようになるのは、いつの事になるのだろうか?
爺も最初はコーチに褒められたいと思ってました。
しかし、最近はダメだしされたい自分がいます。
ダメだしされては、「そんなん出来ないよ・・・」と
言いながら「絶対マスターしてやる・・」と心に誓う
爺がいます(笑)。
テニスナイトさんだけが単純ではないです。人は誉められると嬉しいものです。人間ていうものは単純に出来ているんです。
僕はもう何年もスクールに通っていますが、コーチに誉められたいが為に通っているようなものです。
褒められたいは、スクール初心者
ダメ出しに応えようとするところまで行かないと
スクールの達人には、なれない?
そうですね 人は褒められるとうれしいものですね
うれしくていいですよね
日常生活の中で、人を褒めたり褒められたりということに
縁がなくなって、そういったことに鈍くなっていたんでしょうね
今日は、何でもいいから子供を褒めてみようと
思っています