2007年09月09日
「生きる」
生きる
今日テレビで、かつて黒澤明監督で作られた映画のリメイクが放送されるそうだ。
「ピンクレディ」が懐メロだとしたら、黒澤作品は、それよりさらに二昔も前だろうから、果たして黒澤作品を見たことがある人は、どれだけいるだろうか?
それにしても、出演が 松本幸四郎である。
え?
っていう感じ
黒澤作品では、出演は志村喬。渋いおじさんである。定年前の、何事も無く定年を迎え、ただただ何事も無く残りの人生を過ごすことを考えているような人物が、自分の死期が分かったことで、何事も無く役所生活を終えただけの人生って何だろう?
何事も無く迎える定年は、何も無かった人生っということになるのではないの?
このままでは、自分の生きていた証がどこにも無いではないか?
そして、彼の模索が始まり、「ゴンドラの歌」とブランコに乗るシーン、そして、残った人たちとの対比、となっていったように記憶している。
主人公は、かっこよくない。上司に見咎められず、目立たず、前例の無いことは手がけず、何事も無く始業時間から終業時間までを過ごすことを身上にしている、役人である。
さて、テレビ版がどういうセッティングになっているかは知らないが、松本幸四郎は、かっこよすぎるのである。
それはさておき、
「生きる」では、何事も無く送る日々は、何も無い人生ではないのか?
という問いかけがあったように思う。
振り返ってみると
「テニス」では、何事も無くゲームが終わることなど、相手の棄権か余程格下でもなければありえない。勝つ場合でも、負ける場合でも、何か仕掛けるのか、自分のプレイに徹し続けるのか?そのゲームにどう取り組むのか、いつも問われている。
テニスに限らず、勝負事は、何事もせずにすむことは無く、自分の態度をどうするのか、いつも求められる。
片方で、平々凡々な生活があるから
勝った負けたの勝負が新鮮なのかもしれない
それが刺激であり、やめられない。
しかし、松本幸四郎で、どんな話になるんだろう?
今日テレビで、かつて黒澤明監督で作られた映画のリメイクが放送されるそうだ。
「ピンクレディ」が懐メロだとしたら、黒澤作品は、それよりさらに二昔も前だろうから、果たして黒澤作品を見たことがある人は、どれだけいるだろうか?
それにしても、出演が 松本幸四郎である。
え?
っていう感じ
黒澤作品では、出演は志村喬。渋いおじさんである。定年前の、何事も無く定年を迎え、ただただ何事も無く残りの人生を過ごすことを考えているような人物が、自分の死期が分かったことで、何事も無く役所生活を終えただけの人生って何だろう?
何事も無く迎える定年は、何も無かった人生っということになるのではないの?
このままでは、自分の生きていた証がどこにも無いではないか?
そして、彼の模索が始まり、「ゴンドラの歌」とブランコに乗るシーン、そして、残った人たちとの対比、となっていったように記憶している。
主人公は、かっこよくない。上司に見咎められず、目立たず、前例の無いことは手がけず、何事も無く始業時間から終業時間までを過ごすことを身上にしている、役人である。
さて、テレビ版がどういうセッティングになっているかは知らないが、松本幸四郎は、かっこよすぎるのである。
それはさておき、
「生きる」では、何事も無く送る日々は、何も無い人生ではないのか?
という問いかけがあったように思う。
振り返ってみると
「テニス」では、何事も無くゲームが終わることなど、相手の棄権か余程格下でもなければありえない。勝つ場合でも、負ける場合でも、何か仕掛けるのか、自分のプレイに徹し続けるのか?そのゲームにどう取り組むのか、いつも問われている。
テニスに限らず、勝負事は、何事もせずにすむことは無く、自分の態度をどうするのか、いつも求められる。
片方で、平々凡々な生活があるから
勝った負けたの勝負が新鮮なのかもしれない
それが刺激であり、やめられない。
しかし、松本幸四郎で、どんな話になるんだろう?
「いのち短し 恋せよ乙女 朱き唇 褪せぬ間に・・・♪」
ブランコに乗りながら寂しく口ずさむシーンを思い出しました。
確かに松本幸四郎ではただのオジサンよりよく見てしまうかも。
私たちのテニスは確かに趣味の域を超えないけど、一瞬でも全力を傾ければ生きている意味があると思うし、そう思いたいですね。
いろいろ書いたせいもあり、テレビ見てしまいました
かなり映画に忠実に作ってあったように思いました。
しかし、うまく作ってあればあるほどオリジナルが光るように感じます
黒澤作品を見たいと思いました。