2007年03月29日
バッテリー
みなさん、子供が春休みだからなのかどうか知らないが、映画を見に行きましたという記事が幾つかある。
私も、平日、上の子と見に行きました
「バッテリー」
入れ替え制のシネコン。
上映前に、その扉の前で待つことしばし
やがて、扉が開いて
切符切りのお兄さんに、チケットを渡して入る。
「前の回、誰も見ていなかったの?」
確かに誰も出てこなかった。
本は売れているそうだが、映画は大丈夫か?
そんな心配はさておき
問題は映画
野球が宇宙の中心にあるような生き方をしている中1になったばかりなのに大人以上の球を投げる「たくみ」君。
何しろ、部活の先生に
「クラブに入りたかったら、髪を切って来い」
と言われ
「あんた、オレの球が打てるのか」
と切り返し、先生を空振りさせ、髪を切らずにレギュラーになってしまう嫌な奴、「たくみ」
クラブで「たくみ」の球を受けることの出来るキャッチャー「ごう」のみ
部活の先生は、野球部は自分の統率のもとに活動していると思ってる人。
校長は、野球は自分の許可のもと、させてあげているんだと思っている人。
「たくみ」のお母さんは、病弱な「たくみ」の弟が心配で心配で、野球に没頭している「たくみ」を快く思っていないし、野球に興味を示しては体調を壊す弟を気遣って、野球をも快く思っていない。
チームの中には内申点のため、野球部に所属している上級生がいたりして、
それぞれの人にとって“野球”は、何かの道具であったり、許可がないと出来ないものだったりする。
そんな中で、“純粋に野球をする”ために、いろいろな壁に向かっていく「たくみ」「ごう」その仲間達。その「たくみ」自身も思いっきり野球をする為に自らの壁にぶち当たっていかなければならない。
というような感じの映画だった。
花粉症のせいか、年をとったせいか、最近涙腺が弱い。
仲間だとか、ひたむきな情熱だとか、家族だとか、人が人を理解するとかいうようなシーンが、いくつもあり。
そのたびに、涙腺がゆるむのには困った。
そして、映画を見終わった後、それぞれの人にとっての“野球”があったように、自分にとって“テニス”はどうあるのだろうと考えてしまった。
最近、よくスポーツ選手が、大会に出場する時に
「楽しんでやって来ます」
というコメントをするが
楽しいとは何だろうとも思った。
「たくみ」君は楽しい野球をしようとは思っていないだろう。
いろんな「楽しい」があるのだろう。
何かを背負ってやるんじゃないよ とか
その競技を味わう(?)ゆとりを持って挑む とか
自分にとってのテニスの位置とは?
楽しいってどういうこと?
青っぽいと言われそうなことを、涙腺がゆるんだついでに
考えたりしているこの頃です。