2007年01月30日
夢想
仕事で、車に乗っていると、こんな寒い日にテニスなんて、大変だなーと思うが、自分がテニスをやる日の場合は、そんなことは全然思いもしない。寒かろうが、暑かろうが、ただ雨が激しく降らないことを願うのみとなる。
自分がいる場所で、物の見え方が違う
テニスができない日は、寒さ暑さが気になるが、テニスができる日は、雨が降ることだけしか気にならない。
勝ってる試合は、相手のコートが広く見える。
アングルも空いていれば、ストレートも空いている。何処に打ってもボールが抜けそうに見える時が、年に1度くらいある。
負けてる試合は、自分のコートが広く感じる。カバーしているつもりが、ボールは自分とペアのいないところ、届かないところへバウンドし、まるで磁石が反発するように、ラケットをよけるように通り過ぎていくのだ。
相手の前衛が妖怪ヌリカベのように感じる時がある。サイドもロブも何処へ打っても取られてしまうのだ。
そして、そのヌリカベ君とペアを組むと、透明人間のようにスカスカとボールが抜けてしまって、さっきの鉄壁のボレー、スマッシュは何処へ行ったんだと心の中で叫ぶ時がある。
全ては、相対的なものであり、ぜーたい強い奴というのはそうはいない。
自分のストロークは相手にとってボレーしやすく、強打しやすい球かもしれない。
じゃんけんと一緒で、何かがオールマイティというのは、ゲームとしてはつまらない。そこには、見る者にとっていつ負けるんだろうという価値しかなくなってしまうから。
しかし、もし彼のスポーツが美しければ芸術として、見てみたい気持ちを起こさせることはあるだろう。
強すぎるフェデラーは、誰に負けるんだろう?
テニスは新しい時代に入ったのかもしれない、今までのテニスではフェデラーをギャフンと言わせることは出来ないのだろうか?
ロディックが、最速サーブを捨て、ヒューイットがフットワークを使わなくなった時、オールラウンドのテニスを超える??が生まれるのかもしれない。
次代のチャンピオンは、越前リョーマか?
自分がいる場所で、物の見え方が違う
テニスができない日は、寒さ暑さが気になるが、テニスができる日は、雨が降ることだけしか気にならない。
勝ってる試合は、相手のコートが広く見える。
アングルも空いていれば、ストレートも空いている。何処に打ってもボールが抜けそうに見える時が、年に1度くらいある。
負けてる試合は、自分のコートが広く感じる。カバーしているつもりが、ボールは自分とペアのいないところ、届かないところへバウンドし、まるで磁石が反発するように、ラケットをよけるように通り過ぎていくのだ。
相手の前衛が妖怪ヌリカベのように感じる時がある。サイドもロブも何処へ打っても取られてしまうのだ。
そして、そのヌリカベ君とペアを組むと、透明人間のようにスカスカとボールが抜けてしまって、さっきの鉄壁のボレー、スマッシュは何処へ行ったんだと心の中で叫ぶ時がある。
全ては、相対的なものであり、ぜーたい強い奴というのはそうはいない。
自分のストロークは相手にとってボレーしやすく、強打しやすい球かもしれない。
じゃんけんと一緒で、何かがオールマイティというのは、ゲームとしてはつまらない。そこには、見る者にとっていつ負けるんだろうという価値しかなくなってしまうから。
しかし、もし彼のスポーツが美しければ芸術として、見てみたい気持ちを起こさせることはあるだろう。
強すぎるフェデラーは、誰に負けるんだろう?
テニスは新しい時代に入ったのかもしれない、今までのテニスではフェデラーをギャフンと言わせることは出来ないのだろうか?
ロディックが、最速サーブを捨て、ヒューイットがフットワークを使わなくなった時、オールラウンドのテニスを超える??が生まれるのかもしれない。
次代のチャンピオンは、越前リョーマか?
私も同じこと感じますよ!・・・というか殆どの人が一緒かな?
真夏にテニスしている人を見ると「正気か?」って思いますもん。
自分もやっているのにね!
フェデラーに勝つ者・・・そこに落ち着きましたか! (*^_^*)
パンドラさん
仲間と話していると、バックがうまく打てない話から
シャラポアのサーブの話まで、同じような調子でするんですよね
寛大な気持ちで さっくりと読んでください