2006年11月10日
便利な生活
今は便利な世のなかである。
これ以上便利になってどうするんだと言うほど便利になって、スウィッチ一つでいろんなことが出来るようになり、体をあまり動かさなくても、機械がやってくれたり、金だけ出せばサービスを受けることが出来る。
さらに便利なことに、便利になり運動不足になった体を、金と時間を使えば、補うことができる機械、施設がある。
そんなに便利になってどうするんだ。
先日、車を運転していると、ふらふら運転している自転車が見えました。危ないなーと思い、じっと見ると、きれいなお姉さんでした。・・・ではなく、携帯電話を見ながら(多分メールしてたんだろうね)自転車を運転していました。
危ないなー
と思い。さらに行くと、また携帯を見ながら自転車を運転している人とすれ違いました。
みんなそんなに時間がないの?
そんなにしてまで連絡しなくてはいけないの?
理解できません。
そして思い出しました。
テニスをやってて、待ちの時間に、
「さっき、1-4の時のサーブのとき・・」
と、隣の人に話しかけたら、携帯の画面とにらめっこしていました。
そんなに携帯おもしろい?
子供もテレビ見ながら携帯とにらめっこしている時がある。
便利になったのに、忙しい。
便利になったのにゆとりがない。
藤沢 周平、池波正太郎の時代小説を読むと1、2時間掛けて相手の家に行き、相手がいないので2時間ほど待って、置手紙をして帰って行くなんてことがある。
車も、電話もない時代、大事であろうとなかろうと用件はゆるゆるとしか進まなかったのだ。
今は、大事であろうとなかろうと、その時伝えることが出来る。(得てして大事なことはすぐ伝わらないことがある、何故だろう)
自分のパソコンの受信メールは溜まるばかりです。
DMも後で捨てるか返事を出そうとして、これも溜まっています。
今判断しないと、それらは溜まっていきます。
物でも、沢山の包装紙でごみになるものばかりです。
きちんと捨てないと溜まります。
テニスの練習で、打ち返す前に、どんどん球が来る様なもので処理能力を超えています。
情報も、物も、便利になり、あふれています。
しかし、本当に便利になったのだろうか
おじさんは、時代についていけないのだろうか?
それとも、今の時代が人を置いていこうとしているのだろうか?
散らかった部屋を見ながら、白旗を揚げているこの頃です。
これ以上便利になってどうするんだと言うほど便利になって、スウィッチ一つでいろんなことが出来るようになり、体をあまり動かさなくても、機械がやってくれたり、金だけ出せばサービスを受けることが出来る。
さらに便利なことに、便利になり運動不足になった体を、金と時間を使えば、補うことができる機械、施設がある。
そんなに便利になってどうするんだ。
先日、車を運転していると、ふらふら運転している自転車が見えました。危ないなーと思い、じっと見ると、きれいなお姉さんでした。・・・ではなく、携帯電話を見ながら(多分メールしてたんだろうね)自転車を運転していました。
危ないなー
と思い。さらに行くと、また携帯を見ながら自転車を運転している人とすれ違いました。
みんなそんなに時間がないの?
そんなにしてまで連絡しなくてはいけないの?
理解できません。
そして思い出しました。
テニスをやってて、待ちの時間に、
「さっき、1-4の時のサーブのとき・・」
と、隣の人に話しかけたら、携帯の画面とにらめっこしていました。
そんなに携帯おもしろい?
子供もテレビ見ながら携帯とにらめっこしている時がある。
便利になったのに、忙しい。
便利になったのにゆとりがない。
藤沢 周平、池波正太郎の時代小説を読むと1、2時間掛けて相手の家に行き、相手がいないので2時間ほど待って、置手紙をして帰って行くなんてことがある。
車も、電話もない時代、大事であろうとなかろうと用件はゆるゆるとしか進まなかったのだ。
今は、大事であろうとなかろうと、その時伝えることが出来る。(得てして大事なことはすぐ伝わらないことがある、何故だろう)
自分のパソコンの受信メールは溜まるばかりです。
DMも後で捨てるか返事を出そうとして、これも溜まっています。
今判断しないと、それらは溜まっていきます。
物でも、沢山の包装紙でごみになるものばかりです。
きちんと捨てないと溜まります。
テニスの練習で、打ち返す前に、どんどん球が来る様なもので処理能力を超えています。
情報も、物も、便利になり、あふれています。
しかし、本当に便利になったのだろうか
おじさんは、時代についていけないのだろうか?
それとも、今の時代が人を置いていこうとしているのだろうか?
散らかった部屋を見ながら、白旗を揚げているこの頃です。