2006年08月31日
夏の生活
夏の生活
自分が子供の頃から、現在に至るまで、夏休みには、宿題が出る。蛙の子は蛙というが、自分の子も宿題を残したまま今日を迎えてしまった。
昨日から妙に甘えた声で、子供が
「おとーさん」
と呼ぶ、久しぶりである。常日頃は空気のような存在のお父さんである。めんどくさいが、少しうれしい。
自分を必要とされることは、うれしいものである。
工作が残っているので、手伝って欲しいとのこと。
去年は貯金箱を作った。
今その貯金箱は、私の棚の上で、目的を果たしている。
動く貯金箱ということで、作ったのだが、実際使ってみると(貯金をすると)、お金がある程度たまってくると、お金が邪魔になって、動かなくなってしまうことに気付いた。
貯金箱の側面には、モリゾーとキッコロのイラストが張ってある。去年は、万博があった年だった事を思い出した。子供が小学校を卒業するまで、毎年思い出の工作が増えるのかしら、
夏の宿題は、算数、国語などは、忘れてはいけないという事で、宿題というのは分かるが、工作をするという事は、どういうことなんだろう。
もしかしたら、深い意味があるのかもしれない。
工作を自分で作る生徒は、それはそれで立派。
多くの生徒は、親に相談したり、親に手伝ってもらったり、親に任せてしまったりするだろう。しかし、それはそれで、子供と親は会話をしなくてはならないし、出来上がったものは、出来がどうであれ、親と子に何らかの思い出を残すことになる。
夏の工作の宿題は、親と子のふれあいの為にあるのではないだろうか、というのは、考えすぎ?
しかし、我が家では、夏の工作の宿題は、親と子のふれあいの年中行事化しているのである。
自分が子供の頃から、現在に至るまで、夏休みには、宿題が出る。蛙の子は蛙というが、自分の子も宿題を残したまま今日を迎えてしまった。
昨日から妙に甘えた声で、子供が
「おとーさん」
と呼ぶ、久しぶりである。常日頃は空気のような存在のお父さんである。めんどくさいが、少しうれしい。
自分を必要とされることは、うれしいものである。
工作が残っているので、手伝って欲しいとのこと。
去年は貯金箱を作った。
今その貯金箱は、私の棚の上で、目的を果たしている。
動く貯金箱ということで、作ったのだが、実際使ってみると(貯金をすると)、お金がある程度たまってくると、お金が邪魔になって、動かなくなってしまうことに気付いた。
貯金箱の側面には、モリゾーとキッコロのイラストが張ってある。去年は、万博があった年だった事を思い出した。子供が小学校を卒業するまで、毎年思い出の工作が増えるのかしら、
夏の宿題は、算数、国語などは、忘れてはいけないという事で、宿題というのは分かるが、工作をするという事は、どういうことなんだろう。
もしかしたら、深い意味があるのかもしれない。
工作を自分で作る生徒は、それはそれで立派。
多くの生徒は、親に相談したり、親に手伝ってもらったり、親に任せてしまったりするだろう。しかし、それはそれで、子供と親は会話をしなくてはならないし、出来上がったものは、出来がどうであれ、親と子に何らかの思い出を残すことになる。
夏の工作の宿題は、親と子のふれあいの為にあるのではないだろうか、というのは、考えすぎ?
しかし、我が家では、夏の工作の宿題は、親と子のふれあいの年中行事化しているのである。
我が家は、自分で作る一握りの子供で、最近良く売られているキットも使わず、一から本人のイメージで作るので出来上がりは不恰好です。
夏休みの宿題というと、優秀な子供の作品は学校内や市の公民館などに展示されますよね。作品を見ると明らかに大人の手が加わってるよな~、と思うものが多く・・・。それでも、見た目で作品を評価されてしまうのは、なんだか残念ですね。
イメージはあるけれど、それが形になかなかならなくてイライラする子供を見ながら、「悩んで作る過程が一番大事。いつかどこかでそれが力になって目その芽が色々なところで出てくるよ。今はたくさん種まきをしてるんだから」と言い聞かせてます。
不器用な生き方ですけどね・・・。人それぞれということで・・・。
子供が作っているのを見ながら、つい口や、手を出してしまうのは良くないのでしょうが、子供が一生懸命、紙を切って、いざ組み立てようとすると出来ないんですよ。寸法が合わない、糊代がない。
そこで、ほんとは、自分で気付くといいんですけど、うちの子は集中力が途切れてしまい、遊びに行っちゃうんですよ。
そういうわけで、8月末になり、今だ出来ていない夏の工作の宿題は、私にっとても思いで深い工作になってしまうのでした。
うちは逆で、二人の娘ともすごく意地っ張りなんです。
「こうしてみたら?」といっても全然聞かずに、できなくてイライラするタイプです。
いろいろな子供がいて面白いですね。