2006年08月05日
勝つこと
昨日と全然違う事を書く。
勝負事は、勝たなければいけない。
今まで勝てなかった相手に、どういう加減にしろ、或る日ふと勝ってしまうと、それからは対戦しても、だめだなという思いで向かっていくのではなく、勝てるかもしれないという思いになる。
この人には、勝てないというのと、もしかしたら勝てるかもでは、テンションが違う。
また、残念なことに、テニスコートの上では、強いかどうかが、その人間の価値を決めてしまうところがある。
日常生活では、頭の薄い風采の上がらないおじさんが、コートで、帽子とサングラスに身を固め、ゆっくりとした動作でボールをトスした後、スポコーーンとトップスピンのサーブを打ち、それが、バウンドするとギュルギュルと擬音がはいりそうなほどキックしたら、すごい人だと思ってしまう。女性の見る目も違う。
加えて、第一印象はなかなか変えられない。
かつて強かった人が、テニスから離れていたりして、実力が落ちたとしても、強い人だったという印象はついてまわる。(もちろん仲間内の話である。)
逆に弱かった人が急に強くなった場合は別だが、徐々に強くなっていった場合は、対戦して負けた相手は、余程すばらしいショットが随所に出て負けない限り、今日は自分の調子が悪いというところに原因を求めることになる。
しかし、とにかく、少しでも上達すべくテニスに励んでいる身としては、プロレスでかつて言っていた。「猪木越え」を倣い、仲間内の強い者を指し、例えば、「鈴木越え」などと言いながら、対戦する。
ここで相手が不調だろうが、何だろうが、とにかく勝ってしまうと次から対戦する時の気持ちの持ちようが違ってくる。
ダカラ、負けてはいけないし、勝たなくてはいけない。
勝負事は、勝たなければいけない。
今まで勝てなかった相手に、どういう加減にしろ、或る日ふと勝ってしまうと、それからは対戦しても、だめだなという思いで向かっていくのではなく、勝てるかもしれないという思いになる。
この人には、勝てないというのと、もしかしたら勝てるかもでは、テンションが違う。
また、残念なことに、テニスコートの上では、強いかどうかが、その人間の価値を決めてしまうところがある。
日常生活では、頭の薄い風采の上がらないおじさんが、コートで、帽子とサングラスに身を固め、ゆっくりとした動作でボールをトスした後、スポコーーンとトップスピンのサーブを打ち、それが、バウンドするとギュルギュルと擬音がはいりそうなほどキックしたら、すごい人だと思ってしまう。女性の見る目も違う。
加えて、第一印象はなかなか変えられない。
かつて強かった人が、テニスから離れていたりして、実力が落ちたとしても、強い人だったという印象はついてまわる。(もちろん仲間内の話である。)
逆に弱かった人が急に強くなった場合は別だが、徐々に強くなっていった場合は、対戦して負けた相手は、余程すばらしいショットが随所に出て負けない限り、今日は自分の調子が悪いというところに原因を求めることになる。
しかし、とにかく、少しでも上達すべくテニスに励んでいる身としては、プロレスでかつて言っていた。「猪木越え」を倣い、仲間内の強い者を指し、例えば、「鈴木越え」などと言いながら、対戦する。
ここで相手が不調だろうが、何だろうが、とにかく勝ってしまうと次から対戦する時の気持ちの持ちようが違ってくる。
ダカラ、負けてはいけないし、勝たなくてはいけない。
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